どんな人間でも、生きている以上いろんな人生があるものですね。

 

私事で大変恐縮ではございますが、筆者は50代に突入すると同時にサラリーマン生活に
ピリオドを打ち、今流行り風に申せば「セミリタイア」という道を選択しました。

 

セミリタイア…というと聞こえはよろしいのですが、当時の筆者は人間関係にも、仕事
にもとことん嫌気がさしていて、些かノイローゼ気味だったように思います。

 

嫌な上司からのパワハラ、嫌な客からの無茶ぶり!辟易していました。

 

 

また、セクハラ騒動もあって、本社から遠方へ飛ばされました!(笑)

 

こういう時って、会社は世間体を大事にします。

 

クソ(表現が下品ですみません)みたいな女でも、”女性”っていうことだけで守られます

 

これって「女尊男卑」じゃね!

 

 

怪しまれた男(筆者)は遠方へ異動させられます。弁解の余地は一切なし!

 

というか、弁解する余地すら与えてはもらえません問答無用切り捨て御免

 

事実関係なんてどうでもいいって感じですね。

 

いざっていう時、会社はあなたを守りません!切り捨てます!これが現実です。

 

社員は会社の家族!社員は会社の宝!

 

経営者は毎月の会議で、よくこういう言葉を使っていたんですがねぇ~(笑)

 

どんなに理不尽でも、「サラリーマン」は会社の決定には逆らえません。それが組織で生きるってことなんです。

 

朝早くから起き、家族が寝静まっている中から家を出て出勤、満員電車に揺られ、
片道2時間、往復4時間の電車通勤を3年半続けていました。

 

社内でも社外でもストレスを抱え、ほぼ毎日終電で帰る始末…

 

家族と顔を突き合わせる日など、月に幾日もありませんでした。

 

でもそんなのどこにでもあることだし、話だと自分に言い聞かせてきました。

 

実際、ブラック企業と呼ばれるところなら、こんなの普通なのかもしれません。

 

 

でもね…それは自分ひとりよがりの勝手な解釈です。普通じゃないんです。

 

これがもとで…という訳でもありませんが、私が離婚した原因のひとつでもあった事
には間違いありません。

 

 

すれ違う家族…

 

自分では家族のために戦っている、家族の幸せのために一生懸命頑張って働いているんだ!と…

 

しかし、それで最後に家族を失ってしまったら何の意味もない…本末転倒。

 

気づいた時には既に時遅し…だったように思います。

 

筆者は中途入社でしたが、入社して最初の10年は地元(多摩地区)勤務でした。

 

入社面接の際、絶対に異動はない!っていう約束で入社したんですけどねぇ~(笑)

 

この世の中、”絶対”なんてありえませんね。

 

入社10年過ぎた辺りから、筆者の転機は訪れました。

 

それから本社(中央区)勤務となり3年半、さらに都落ちして千葉へ異動に…

 

千葉で3年半居て、そろそろ地方(東北とか北陸あたり?)に異動になるかも…

という予感がしていました。

 

「冗談じゃない!辞めるしかないな…」と思うようになります。

 

会社にとって社員は歯車のひとつ、将棋の駒のひとつにすぎないんです。

 

社員の異動を決める役員なんて、人の人生になんて何の責任もないんですから。

 

そんな奴らに私利私欲で勝手に決められてたまるか!って思っちゃう訳です。

 

楽しいんですけどね(笑)通勤時間が長いと、こんなハプニングも日常茶飯事に…

 

当時筆者は多摩地域(日野市)から千葉まで通勤していたのですが、終電で帰る途中
仕事をサポートしてくださっていた同部署の先輩と”電ビ(電車内でるーびをのむこと)”
して帰ったものでした。

 

仕事終わりに居○屋へ飲みに行くという暇がなかったんですね。

 

もちろん、家に帰ってバン○ャク…などという時間も互いにありませんでしたから、
こうして帰りの電車内でるーびをのむのです。プチ宴会みたいな…(笑)

 

 

そうすると、仕事の疲れとも相まって必ずと言って良いほど電車を”乗り過ごす”訳です。

 

終電ですからね、電車内は空いています。当然椅子に座ります。

 

疲れている中でアルコールが体内に入ります。途中駅で先輩は早々に下車します。

 

自分一人です。爆睡です(笑)起こしてくれる人は誰一人としていません。

 

ハッと気づいて起きた時には何駅も通過していて、ひどい時には終点までとか…(笑)

 

もともと電車に乗ったのが終電な訳ですから、何駅も乗り過ごすという事はもう戻る
電車はありません。

 

千葉駅から帰る場合、まず横須賀・総武線(快速)に乗るのですが、この電車の終点が
エグい!久里浜とか、逗子とか…行ったら最後の場所・秘境の地です(笑)

 

流石に久里浜まで行ったことはありませんでしたが、逗子は一度だけあります…

 

後は途中駅ならほとんど行きました(笑)大船横浜戸塚etc…ほぼすべての駅近
マンガ喫茶、ネットカフェの会員カードを持っていて、横須賀・総武線を制覇していま
した(笑)

 

北鎌倉で降りた時もありました。駅を降りて急な階段を登っていって…

 

何やら”寺”みたいなところで徹夜したことがありました。

 

後で調べたら「円覚寺」っていう、やっぱ寺だったようです。

 

それにしても1分1秒がとても長く感じました。

 

お寺の朝は早い!午前4時頃には境内に鐘の音が響き渡っていました。

 

いや~あの節はお世話になりました(笑)

 

この辺りで座って寝ました(笑)

 

 

それと逗子駅!逗子はエグかった…。

 

マン喫やネットカフェなんてある訳がない!

 

仕方ないので、駅前のファーストフード(確かマ○ドナ○ドだったかと)で夜通し徹夜
しようと思って入店したら、その日はタイミング悪く午前2時から店内清掃するとかで
締め出し喰らい…

 

で、仕方ないのでトボトボ歩いて行くとまた駅が…あれは「京急逗子線の新逗子駅
こんな駅、存在すら知りませんでした。この時に行くまでは…(笑)

 

当然周りには何もない…階段登って駅の改札らしきところへ…入れませんね(笑)

 

改札前にちょっとした店舗が何店かあって、ちょうど不動産屋がありました。

 

何不動産だったか忘れましたけど、閉まっていた店舗の前に旅行用のパンフレットが
ラックにささってたくさんありました。

 

この後、途方に暮れる筆者はどんな行動に出たか…

 

このラックにささっていたパンフレットを全部出して、床一面に敷き詰め、横になり寝ました。

 

 

途中のコンビニで買った夕刊紙(東京スポーツ)を掛け布団代わりに体の上に乗せて…もちろん熟睡なんて出来ませんでしたけどねぇ~(笑)

 

でも下の道路からは上のフロアだから死角になって見えなかったんですよね。

 

それで安心して寝れた。唯一起きたのが、午前3時過ぎに駅に新聞を届けに来た新聞配達の
お兄ちゃん。「あ~また酔っ払いか何かが寝てるわ~」くらいに思われていたのでしょうか…

 

まさかホームレスには思われなかったと思います。だってスーツ着たホームレスってあまりいないでしょうから…(笑)

 

翌日、始発で帰って家着いてすぐ着替えてそのまま出勤…凄いヘビーでした(笑)

 

あ…ちなみに言っておきますけど、敷き詰めたパンフはしっかり元に戻しましたよ。

 

不動産屋さん、ごめんなさい!そしてありがとうございました!

 

何冊かは私のよだれが付いてたと思います…(笑)

 

”地獄”は西にもあった!海近秘境の次は山奥秘境の洗礼を浴びる!

 

さて、東京駅で運よく乗り換えできたとしても、今度は中央線の恐怖が待っています。

 

たま~にある訳です。東京駅から早く帰れる中央特快が…これが悪夢の始まりです(笑)

 

ハマったのが大月行の中央特快

 

終点高尾なら、まだタクシーでも最悪歩きでも帰れる(日野まで歩くと約2時間かかります。シューズの底が減るの、メッチャ早かったです)のですが、これを過ぎると無理!相模湖とか、藤野あたりでもアウト!

 

まだ神奈川県内です。山梨県にも到達していませんけど、山(高尾山)越えます。

 

トンネル結構長いです!山の下を、結構な距離走ってる訳です。

 

 

タクシー捕まりません!なぜなら必ず同類項が居るから…(笑)

 

運よくタクシーが捕まったとしても”高速道路(中央道)”使います。

 

万単位のお金が飛びます。それをバカみたいに何度も繰り返す訳です。マジでアホです。

 

流石に連チャンすると凹みます。ブルーになります。死にたい気分になります(笑)

 

こずかい制なのに、そうそうタクシーばかりも使えません。

 

夏なら良いのですが、そういう乗り過ごす時に限って寒い冬場だったりします。

 

「弱り目に祟り目」ってやつです。駅で夜通し起きてて徹夜したこともあります。

 

ベンチで横になって寝るのですが、山奥ですからかなり寒いです。全然寝れません(笑)

 

 

捨てる神あれば拾う神あり!世の中、まだまだ捨てたもんじゃありませんね…

 

で、一度こんなエピソードがありました。

 

高尾駅を通過して藤野駅まで行った時がありました。さすがに今回タクシーは無理!

 

お金ないし、第一タクシーがいない!

 

そこで”覚悟”します!よし、歩いて帰ったる!(笑)

 

国道20号に出て、トボトボ歩き出します。午前1時過ぎ…道路はほとんど車が通らず、
通るのは大型トラックばかり…

 

国道20号というのは、人が歩くスペースなんてほとんど設けられていません。

 

道路を歩いていると…「やべ!トラックにひき殺されるかも…」という恐怖心と戦い
ながら歩きます。あたりは真っ暗闇ですからね~

 

そこへたまたま一台の普通乗用車が通りかかります。

 

筆者の横を通り過ぎた後、徐々に車を減速させて、ハザードランプを点けて停車しました。

 

筆者がその車を通り過ぎようとした瞬間、助手席の窓が開いてドライバーから声をかけられます。

 

 

「どうしたんですか?」と…

 

私「家に帰る途中です。」と応えます。ドライバーのあんちゃんは…

 

「どこまで?歩いて帰れるの?」と…

 

私「日野まで行きます。歩いて帰ります」

 

あんちゃん…びっくりします!(笑)

 

「えぇ~歩いて帰るなんて無理だよ!送ってくから乗って!」

 

 

 

ナンパにしては、真夜中の国道でスーツを着た歩くオヤジサラリーマンに声をかける
モノ好きもおるまい…(笑)

 

筆者も、そこは遠慮せず素直に”ヒッチハイク”に同意し乗車させたもらった。

 

この時は不思議と警戒心など微塵もなかった。

 

今思えば大胆な行動だったと思うのだが…追い剥ぎに会うかも…考えが古い?(笑)

 

車に乗ってみて判った事がひとつ。確かにあそこ(藤野)から歩いて日野まで帰るの
は無謀だったなと…(笑)

 

30分くらい、このドライバーのあんちゃんと話しながら帰路に着いた。

 

ドラマの話とか、今の仕事の話とか…とりとめのない話だったが、何気に結構話し込んだ。

 

このあんちゃん、生まれてこの方、電車に乗ったことがないらしい。

 

日本全国、仕事で車を走らせて移動しているらしいのだ。

 

だから、筆者のように電車に乗って職場へ行くサラリーマンというのにとても興味を
覚えたらしいのだ。恐縮です…(笑)

 

太陽光パネル(ソーラー)を民家の屋根に取り付けるというお仕事をしていた方で、一昨日、山梨の方で取付工事をして翌日帰る予定だったのが、台風の大雨の影響で足止めをくらい(大雨が降ると、中央道も国道も完全に封鎖され山梨側は孤立状態になる)、一日空けて帰る途中だったんだとか。

 

それにしても、よく筆者に声をかけてくれましたね?と尋ねると…

 

「いや~正直最初は怖かったんですよ。だってこんな真夜中に歩道もないような国道を
スーツを着たサラリーマンが傘さして(そういえばこの時小雨が降ってた)歩いている
なんて…どう考えても自殺志願者だと思ったんですよ」とのこと…

 

だから声をかけた、つまり何とか自殺を思いとどまらせようと思ったらしい…

 

へぇ~そんな風に思われてたのね…そりゃそうか!(笑)

 

 

この日は仕事帰りで「町田」まで帰る途中だったらしい。

 

わざわざ寄り道して日野駅まで送ってくれた。

 

下車する際、お礼にと一万円渡そうとしたら「いらないよ!そういうつもり
で送ってきた訳じゃないから…」

 

くぅ~泣かせる台詞じゃないの!男気あるねぇ~

 

でもね…ここで引き下がったら、今度は筆者の男が廃るというもの!

 

タクシー乗れば倍以上のお金がかかったんだから、気持ちだし受け取ってよ!
と半ばごり押し…

 

にいちゃん、しぶしぶ受け取ってくれた。だから気分は晴れやかだった…

 

筆者は思ったね…「世の中、捨てたもんじゃないねぇ~」って…(笑)

 

こんな話に似た小説があるらしいですね。同期の先輩が飲みの席で話してました。

 

筆者は知らないけど…(笑)

 

どんな人生でも”つまらない人生”なんてないんじゃないでしょうか…

 

ここに書いてきた出来事は、すべて本当の話です。創作したお話は一つもありません!

 

だって、こんなところで嘘書いたって、筆者には何らの得もありませんから…

 

こんな人間もいるんだ(いたんだ)ってこと、誰かに知って欲しかっただけのことです。

 

 

筆者のサラリーマン人生、およそ17年でした。

 

辛いことも数えきれないくらいありました。

 

けど、バカみたいだけどおもろいエピソードもそれなりにはありました…(笑)

 

上記の話はその中のほんのワンシーンです。

 

苦楽を共にしたリーマン時代の同僚・仲間とは、今でも「ゴルフ」や「競馬」で
個人的に交流のある方も数人います。

 

割と楽しくやってます。いいものです。

 

 

筆者はもうサラリーマンには戻れないし、また戻る気もないけど、それでもあのサラリーマン時代があって、今の自分が居る訳で…

 

サラリーマンをしていた時代も、それをやめた今も、やって後悔したことなどありませんでした。

 

サラリー時代に出会った人たちには”感謝”しかありません。

 

 

そして、いま現在「サラリーマン」現役の方々へ、エールを贈ります。

 

 

がんばれ!日本の戦うビジネスマン。
君たちがいれば日本の未来は明るい♪…かもよ(笑)